自由意志

自由意志とは存在しうるのか

これは僕の中で

随分長いこと答えがでていない問いだ


たしか中2のときに

ぼんやり考え始めた記憶がある


そこからしばらく忘れて今、

再びこの問いが頭の中を駆け巡っている。


この問いが再び目を出した原因は

今学期にとっている

グローバル・スタディーズ入門

という授業のせい


いや、おかげである



この授業は本当に面白い

インプットとアウトプットを

ものすごいスピードで回すため

脳に汗をかく。

先生の考え方が良い。

この授業のあと

珍しく早稲田で良かったと感じた。


この授業では主に教育格差について学ぶ

初回の授業でデータから

親の最終学歴と収入が、

子供の学力に大きく比例する

ことを学んだ。


もちろん

なんとなく想像がつくこと

ではあるだろう


でも一度データを見てほしい。

おぞましいほど綺麗に数値が出る。

その数値を見て、

冒頭での問いが再び

僕の中で顔を出した。


授業では

データを見たうえで

メリトクラシー

(本人の能力、努力によって

その個人の地位が決まる社会)

ペアレントクラシ―

(親の願望、富によって

その個人の地位が決まる社会)

という二つの単語に注目した。


そして自分が生きる社会が

メリトクラシーか

ペアレントクラシ―か


早稲田大学に入ることができたのは

メリトクラシーゆえか

ペアレントクラシ―ゆえか


といったディスカッションをした


もちろん

授業でデータを見ていなければ

ほとんどの人が


メリトクラシー


だと答えるだろう




一般的に努力は美しいとされるし、

自分のなかに

その美があったことを疑わない。

いや、疑いたくない。

疑わないことで

「幸せな」人生を送りたがる。

果たしてそれが「幸せ」からともかく


しかしここでは、データを見ていたため

満場一致で

ペアヘントクラシーだ

という話になった。



まあ自分等が

努力しなかったのか

と言われればそうではないが、


親が教育にかけられるお金を

十分に持っていなかったら

親が大学進学を

当たり前だと思っていなかったら

親が大学受験を応援してくれなかったら


果たして僕は大学に行けただろうか

大学進学を選んでいただろうか

大学に行けるだけの

努力ができていただろうか


恐らく無理だろう。


ディスカッション中に

親の願望や富があった上でしか

自分の能力、努力はあり得ない

という結論に至った。


ここから先は

授業で扱った内容ではなく、

ただの自分の思考である。


本来メリトクラシーの対義語は、

他者全てからの影響という意味で

エンバイロンメントクラシー

なのではないか


親のみではなく他者

身の回りの知り合い、

親戚、

本や新聞、テレビといったものを

媒介として繋がる他者

etc…


これら全てからの影響によって

個人の地位が決まる社会を

エンバイロンメントクラシー

とする



果たしてこの世界は

エンバイロンメントクラシー

でないと言えるのだろうか。

個人の意思とは存在しうるのか。

自由意思とは存在しうるのか。


ある人は言うかもしれない

「環境が提示するのは選択肢だけで、

どの選択を選ぶかは

個人の自由意思である」


しかし、選択の決定を左右するのは

個人の価値観である。

価値観は体験によって

形成されるものであり、

体験を提供するのは

環境以外であり得ない


さあ、ここまで読んだ方

(もしいるならありがたいですね)

あなたに自由意思は存在しますか???


少なくとも僕のちっぽけな頭のなかでは

全てが

「個人を取り巻く環境」

に帰着し、

自由意思は存在しない

という結論に至る


もし間違ってね?

とか

こうじゃね?

とかあればコメント欄へgo

純粋に話を聞かせてください


環境が全てを決める

しかしその環境は、

その前の時代の環境により

決定される。


これを続けていくと

宇宙誕生の瞬間にまで遡ってしまう。

では宇宙が誕生した瞬間に

全てが決まっていたのか。

僕らは全ての始まりから

仕組まれた通りに生きるだけの、

ゼンマイ仕掛けの人形なのだろうか


「自己」とはどういう存在なのだろうか

他者によってのみ形成される自己

それは果たして自己なのか

自己とは存在し得るのか


「個にして全。全にして個。」

という言葉で済ませて良いのだろうか


僕はこの考えを打ち砕きたい。

認めたくないからで、認めるのが不快だから


けれど僕のなかでは

考えれば考えるほど

この考えを肯定するようなことが

思い浮かぶ


恐らくこの難問とは一生

付き合っていかなければいけないだろう。

こんな難問と一生付き合うなら

女子と一生付き合いたいけどね。

いつまで彼女いない煽りを受ければ良いの。

終わりが見えない絶望。

さんざん煽ってきた同期浪人を煽れる希望。


話がくそ脱線したので元に戻せば


こういう問題に

そもそも絶対的な答えがある

と思うことが過ちなのだろう。


「絶対的な答えがない」

という絶対的な答えの存在を

決めつけている時点で

僕の頭はお粗末だなぁと思うけれど。


まあそんなこんなで

くだらないことに頭を悩ませています。


どうしたもんですかね。



でもまあ一つ言える確かなことは


最近色々ありすぎて

ただでさえメンタルが終わってる中で

こんなことを考えても

意味がない

ってこと。


なんでまあ寝ましょう。

おやすみなさい。

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188㎝が日本語を練習する場所。