僕は冬が嫌いだ。
いや、嫌いではないのかもしれない。
相性が悪い。
秋の終わりがけから冬にかけて。
精神的に不安定になる。
もちろん色々な外部要因はある。
けれど明らかに夏に比べ、
モチベーションがない。
やる気がない。
やりたいことはある。
やるべきこともある。
でも動けない。
気力がない。
去年も同じだった。
いや少し違うかもしれない。
「自分」が見えずに悪戦苦闘を重ねていた。
「死」がすぐそこにいた。
そんな感覚だった。
そのおかげでそれ以外のことに気力を割けない。
そんな感覚だった。
最近身に着けたはずの
自分の足で時間軸を踏みしめている感覚がない。
僕がどこかで落としたか。
はたまた僕が落とされたか。
強いて言えば写真を撮っている時だけは生きている感覚がする。
5年以上前の古ぼけたモデルのアンドロイドを片手に
自分が美しいと思う空間を平面的に液晶に転写する。
その美しさを自分の「手」で洗練する。
その瞬間だけは僕は時間軸上に戻れる。
アンドロイドと言えば、
僕のアンドロイドは電気羊の夢を見るのだろうか。
PSYCHO-PASSの槙島に惚れ直して読み直した作品、
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
通奏低音のように「人間とは何か」と叫び続ける作品だった。
僕が槙島が好きな理由もそこにある。
彼もまた作品中で「人間」とは何かを叫び続けていた。
「真夜中乙女戦争」の主人公も同様。
彼らはみな狂おしいほどに美しい。
人間とは。人間とは。人間とは。
今までの「人間」は西洋的だった。
宗教的だった。
そんな「人間」像が破綻しかけているように感じるのは
僕だけだろうか。
世の中には季節性感情障害、
SADと呼ばれるものが存在する。
秋から冬にかけて気分が落ち込む状態を言うらしい。
まさしく今の自分と重なる。
そう思って少し調べてみた。
この症状の原因は、日照時間不足。
人間とはなんと可愛い生物であることか。
あれほど「意識」や「自己」が
人間を人間たらしめると語っておきながら
日照時間が不足するだけで脳の回路が正常に作動しなくなる。
もちろんこの説が正しくない可能性はあるけれど。
僕がこの症状なのかどうかは分からない。
けれど少なくともこの傾向を持ち合わせていることは事実であり、
多かれ少なかれ他の人間の多くもこの傾向を持ち合わせているのだろう。
全てはグラデーションなのである。
0か10かではない。
最近少し知識を入れた脳科学でも、
教育社会学でも。
「人間」の破綻は近づいているように感じる。
破綻を引き起こそうとしているのは科学であり、
従来の「人間」とは宗教的なアートの産物であり産みの親である。
アートはサイエンスの主人であると言うが、
家来であるサイエンスが下克上を起こすのか、
主人であるアートが進化するのか。
はたまたサイエンスとアートが相互作用的に新たなものを作るのか。
果たして人間とは何なのだろう。
まずは僕の中で破綻した人間像を再構築しなければならない。
にほんごれんしゅうちょう
188㎝が日本語を練習する場所。
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