何者②

はい。

宣言通り更新できたよ!

やったね!


グループワークの授業が重かった時の

生活習慣がくそすぎて

絶賛一日のサイクル乱れ中なんですけども。

今日も元気に生きていこうと思います。


本題の何者の感想に移る前に愚痴りたいんですけども

最近面白い人と話す機会が全然ないんですよね。


笑えるという意味で面白い人はまあ結構いるんですけど

話してて「この人面白いなあ」と思うような

ぶっとんだ人間にあまり会わない。

やっぱり中高時代は良い環境だったなあと

男子校拗らせ人生破滅マンは思うわけですけども。


年上の人と話す機会は実は結構あって

アドバイスのようなものをもらう機会はそれなりにあるんですけど、

大抵「行動しろ」みたいなことしか言われない。


これは自分への戒めでもあるんですが

彼らは大体人の考えを聞かないんですよね。

断片的な情報だけをもとに

自分の考えをありったけ話してそれで終わり。


こちらの考えを引き出してくれないことが多い。

まあ話さない僕も悪いんですけど。

でも明らかに自分が正しいみたいな顔をしてしゃべられると

反論する気が失せる。失せません?


最近石原さとみさんと話題になっていた

「SHOWROOM」の前田裕二さんがNews picksで

「ファンがつくのは余白のあるコンテンツ」

と言っていて人にも通じるもんやなあと思った。


やっぱり僕としては

自分の考えが絶対でないことを認識して

0から一緒に話を作り上げてくれるタイプの人の方が

話していて楽しいし好きです。

僕もそういう人間になれるようにがんばろ。

まだ結構自信満々に話してしまいがち。

もしそうなってたら叱ってください。



さて、本題。

「何者」の感想。


昨日気づいたんですけどね、

僕多分読書感想文を書くのめっちゃ苦手です。

まあ練習あるのみだろうと思うんでとりあえず書きます。


昨日のブログでめっちゃ刺さると言ったと思います。

めっちゃ刺さります。

小説読んでて初めて殺されるかと思いました。

でも刺さるだけではないのでご安心ください。

ではどう刺さるかをまず書いていきましょう。


思いっきりネタバレしてくのでご注意を。


まず主人公。

この主人公は物事を俯瞰して分析して、

まあ言ってしまえば他人を小ばかにしてしまうタイプの人間なんですよ。

みなさんも多少はこういう経験あるんじゃないですかね?

少なくとも僕はあります。


この物語上では主人公のような人間は

少数派であるように感じてしまいますが、

少しでもこういう面をもっていない人はほとんどいないんじゃないでしょうか。


「何者」の最初の方では

他の登場人物と主人公の絡みがある程度平穏に

主人公からの視点で描かれています。

節々に主人公の他人を小ばかにする感じが滲みでているんですが、

対象がいわゆる「意識高い系」だったりして

むしろ主人公に共感さえ覚えてしまう構成になっています。


というかラストまでは

完璧に主人公に感情移入させるためだけに存在する

と言っても過言ではないと思います。

むしろ感情移入しないやつは

聖人すぎるか今世紀最大のバカです。


なんですがラストで、

主人公が他人をバカにした自分の考えを

自分のTwitterの裏アカウントに書き込んでいることが

他の登場人物の一人に明かされます。

そこに絡めて、その登場人物の視点から見た

主人公が赤裸々に語られます。


ここのラストがほんっっとにずるい。

要するに

「俯瞰して物事を見ているつもりの自分」

「そしてそれに悦にいっている自分」

という存在

「さらに上から俯瞰されている」

ことに無理やり気づかされるわけです。

しかもそこで

「俯瞰しているつもりで悦にいりながら自分がやらかしていたこと」

「第三者にしっかり見られていて直接指摘される」


そんなん反則だろ!

やめろ!!!!!!!!


と初めて読んだときは叫びかけました。

本当に構成がうまい。

しかも何度か読み返すうちに気づいたんですが、

「俯瞰している自分も俯瞰される」

という部分がTwitterというSNSが持つ性質と見事にマッチしているんですよね。


さらに言えば、映画版では小説版のラストに相当する部分が

「演劇」を用いて描かれているんですが、

演劇もまた、Twiiterと同じくこの性質を持ち合わせている。

この性質はなんと呼ぶのが良いんですかね。

一先ず「劇場性」とでも呼びましょうか。


ほんっとに物語がうまいなあと思います。



ただ、僕がこの物語を好きなのは

この物語の終わり方が

著者が読者を俯瞰し、あざ笑うかのような終わり

ではないところにあります。


ほんとに最後の最後で

就活の集団面接という場面で

主人公が、今までの自分の痛いところ

を認める発言をするんですよ。

さらに、映画であれば、主人公が就活を終え、

ビルから出てまっすぐ歩いていく背中が映し出されます。


つまりこの映画のメッセージは

「人間てこんなに醜いんだぜハハハ」

ではなく

「でもその醜いところを受け入れた上で前に進もうよ」

というところにあるんですよ。


ラストの直前まで読者を上げて、

ラストの描写で読者を極限にまで落とし、

一番最後に救いの手をのべる。


見事に三次関数的物語。


救いの手を伸べてくれるからこそ

今までの自分を理解し、認めた上で

次に進もうと前向きな気持ちになれる。


で、ここで終わりかと思いきや

一番最後に主題歌の

「NANIMONO」

ですよ。

中田ヤスタカが作曲を

米津玄師が作詞と歌を

担当している歌です。


この歌の歌詞が見事に「何者」という物語とリンクしている。


社会人と大学生の狭間にいる就活生の立ち位置を

ひいては、未だ何者にもなれていない若者の立ち位置を

「階段の踊り場」と表現するセンス。

それでも前を向かせる「へたくそでも向かえ遠く向こうへ」。

などなど全部の歌詞がこの物語にマッチしていて本当に神。

尊い。

このブログ読んでる暇あったら聞け。

なんも関係ないけど米津さんのこの曲もいいよ。

僕が一番好きな曲。



話がそれた。

まあ何はともあれ

「何者」の小説を読んで

「何者」の映画を見て

「NANIMONO」を聞いてくれ。

頼む。

リンクも貼っとくからさ。

別に僕にお金は入らないので安心して読んで。

買いたくなけりゃ貸すよ。

ボロボロでもよければ。


ほんとはもっともっと書きたいことあるんですけどね。

とりあえず今回はこんな感じで。


次回、もうちょっと細々したこととか

短編集の「何様」の感想とかを書こうと思うよ。

「何者」関連ばっかでごめんな。


次の更新はいつにしようか。

明日を逃すと土日書けないから明日書いてしまおうかな。


その次月曜くらいにでも名前とか言葉に関して考えたことをまとめまーす。


はいそれでは

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にほんごれんしゅうちょう

188㎝が日本語を練習する場所。