はいどうも。
労働の疲労と酒による微睡みの中で
頑張って更新しようとしてます。
寝落ちせんようにしよ。
(そして寝落ちした。案の定!(寿司君ボイス))
(途中まで12日の夜に書いて残りは13日の夜)
最近頑張らなきゃなあと思うことが多い。
今日で言えばプレゼン。
最近まじでプレゼンが下手くそすぎる。
感情をそれなりの解像度で
文章にすることはできるけど
感情を話すという形にするときに
解像度ががくっと落ちる。
スマホと10年前のガラケー位解像度が違う。
練習しなきゃ。
と、色んな場面でプレゼンだけでなく
色んなことに対して思う。
教育者目指すなら
最強のオールラウンダーになりたいし
が、夏休み大して頑張れてないんですよねぇ…
不器用だからか
自分の勉強に手を回す時間が作れない
&
長期的な視点で価値のある
自分の勉強のために
今の自分にできることを
ないがしろにしていいのかが分からない
もちろん決めるのは自分なんですけど。
どうしたもんかねぇ。
死に物狂いで死ぬ気で命かけた努力を
したいんですよ僕は。
意思が弱くて
それを全然実現できていない自分が
死ぬほど嫌だし
結果が出せなくて
やる気だけが先行してる自分が
本当に嫌い。
もっと宗教の解像度を上げて
もっと強固な宗教を、教典を作ろう。
最近は割と常に胃液の味が
口でしてるんですけど
それでも全然理想に届かないんですよねぇ。
落合陽一とかどんな肉体とどんな精神してるんだろうか。
まあこんなくだらん日記はどうでもいいや。
昨日だか一年前だか十年前だかに
リーダーシップ持論的なものを書きましたがそれ関連で。
「これから求められそうなリーダーシップは責任の分配とコミュニケーションじゃね?」
って話を。
いわゆるトップダウン型の独裁者的なリーダーシップではなく。
まあそんな大層な話ではないんですが、
インターネット等の発達で
個の力の増強が騒がれ
価値主義的な社会の到来が
まことしやかに囁かれている現代において、
企業としてはますます組織力的なものが
重要になってくるんじゃねえかなあと
僕はチームとグループを組織感の有無
で使い分けている感じがするので
それでいえばチームの重要性。
というのも個の力の増強により
全体として多様化が進んでいる
気がするから。
全体として多様化が進むと
市場もより複雑化しそう。
(この市場は組織を取り囲む外部環境全て)
個が受ける影響も与える影響も
個そのものも多様化して
それにより市場内部での相互作用が
活発になるから。
複雑になればなるほど
同じ成果を出すのに必要な
「知識量」が過去に比べ増大する。
いわゆる独裁者的リーダーシップは
その独裁者の理想を体現するだけであるため
必要な知識量が増大すればするほど
同じ成果を出すためにカリスマ的リーダーのもつべき理想も複雑化し肥大化する。
そうなればなるほど
生き残れるカリスマ的リーダーは
当然ながら少なくなる。
また、自立分散化が進めば進むほど、
カリスマ的リーダーが
組織を構築する意味が薄れる。
カリスマ的リーダーの理想を体現するために必要なのは
「いうことを聞く奴隷的機械」
であって
自立行動する人間ではないから
自動化が進めば進むほど、
わざわざ人間を多く雇う意味がなくなる。
組織の人的規模が
小さくなりそうな気がします。
この二つを考えると
これからわざわざ組織を作る際に
求められるのは
「集合知」的なものだと思うんですよね。
個々人ではたどり着けない領域に
たどり着ける組織。
こういう組織を作るための
リーダーシップがこれから必要そう。
こういう組織に必要な要素を
今思いつく限りで考えてみると
おおまかに4つかなーと思ってます。
①構成員の主体的な参加
≒参加者の貢献度の高さ
②構成員間の淀みないコミュニケーション
③各構成員の組織に対する意識
④各構成員のある程度の能力
全部必要そうな気がすると思うので
理由は省略。
これを実現するために
リーダーがした方がよいことをこれから書いてきますが
③に関しては前回似たようなこと書いたし
④に関してはまあ当たり前っちゃ当たり前だと思うので省略
①に関して。
主体的に参加する、貢献するってのは
自分の役割に責任を持つ
ってことと同義だと思う。
この場合の責任を持つは
罰とかリスクとかそういうものを背負う
とかそういう話だけではなく、
実行する覚悟を持つとか
そういう意味合いまで含めた
責任を持つです。
責任を持たない人間は
主体的には参加しないよねえ。
つまり①を実現するために
リーダーに求められるのは
構成員が主体的に動けるように
責任を分配すること。
もちろんある企画のリーダーとか
組織のリーダーとかと比べて
そこまで権限の大きくない
リーダーに関しても
同じことが言えると思う。
これが所謂
「周りを巻き込む」
ってのと同じなのかなあ。
逆に責任を自分からリーダーに
もらいにいく、奪い取りに行くのは
①を達成するための組織に必要な
フォロワーシップと言えるかもしれない。
続いて②に関して。
言いたいことや思ったことを
あえて言わないのではなく
言えない組織が
集合知を作れるわけないよねぇ。
淀みないコミュニケーションをとるために
リーダーがやるべきことは
構成員間の勾配や壁を作らないこと
だと思う。
そのためには、
役割ごとの優劣を想定しないことと
自分からコミュニケーションを取りに行くこと
が重要そう。
最近(?)CEOとかCOOとかいう表記が流行ってますが、
代表とかそういう表記よりも
各役割間の優劣的なものを感じないので
好きです。
コミュニケーションを取りに行くのは
僕が最も苦手とするところ。
だけど相手待ちしてるだけじゃ動かないよねえとも思う。
(行動に移すのが難しい。)
でも日本企業はこれできそうにないなあ
とも思います。
「敬語」「年功序列」みたいな文化が
残っているから。
まあこれらの文化が一概に悪い
というつもりは毛頭ありません。
中高の部活顧問は
毛根がありませんでしたけど。
これらの文化が残っていても
しっかりコミュニケーションがとれれば
良いと思います。
でも日本だと無理そうだと思うのは
「報連相」って文化が残っているから。
まあもちろん大事ですよホウレンソウ。
鉄分とれるし。僕もお浸し好きです。
でもホウレンソウはあまりにも
一方的な意思伝達を
想定しすぎだと思うんですよ。
結局それってトップダウン式の
独裁者視点の意思伝達に基づいてると思う。
コミュニケーションって
相互的なもののはずだし
だからこそそれが
集合知に繋がると思うんですよ。
でも日本の多くの組織は
ホウレンソウみたいな
一方的なものをルールとして想定し、
しかもそれにかなり縛られている気がする。
ホウレンソウしてくれたら嬉しいけど
自分からも口出すよ、くらいのスタンスが
ちょうど良いんじゃねえかなあ。
と、こんな風に考えて
「集合知」を組織で作るために
必要なリーダーシップは
「責任の分配とコミュニケーション」
なのかなあと考え至りました。
両方とも俺が苦手なとこだから頑張ります。
途中で寝落ちして、
そのあと読み返さずに続きを書いてるので
なかなかチグハグなものに
なってしまった気がする。
まあしゃあねえ。
でも最近思うのは
理論って大事だなあって。
社会が発展したのは
理論を残してきたっていう要因が
大きい気がするんですよ。
理論は再現性に繋がるから。
もし理論がなければ
人間という種は
はずっと同じ場所を堂々巡りしてそう。
なので自分の体験とか行動とか、
はたまた他人の行動とかを
理論に落とし込まない人間とか
理論が表面的すぎる人は
馬鹿だなあと感じる。
成功したとしても
まぐれ当たりしかしなさそう。
まあ偉そうに書いてる僕も
もっと深くまで理論に落とし込める余地は
全然あると思うんで頑張ります。
次回は散々書くのを延期してる
言語について書こうかなあ
にほんごれんしゅうちょう
188㎝が日本語を練習する場所。
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